最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
日本の水はよみがえるか | NHK出版 |
著者 | 出版年 |
宇井純 | 1996 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
まだ途中なんだが,これは凄い本だと思うので紹介しておく。ともかく宇井さん自身の体験に基づいているので強いのだと思うが,1行の中に10行分くらいの背景が詰めこまれていて(というのは,裏を返せばそれだけ読者に理解の素養を要求する本なのだが),1960年代から公害問題に取り組んできた厚みを感じさせる。各章末に参考文献の詳細なリストがついているので,もし本文に疑問を感じたらそれらにあたることができる。内容的には,「柔らかい技術」によって公害をコントロールしようという姿勢で貫かれており,その実例もあげられていて共感できる。読了したらまた書く。
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第4章の足尾鉱毒事件の紹介と,それが後の公害問題に与えた影響の話は実に示唆に富んでいる。田中正造の話は,たしか小学生のときに学研の「科学」か「学習」のどちらかに載っていて,読んでいて涙したものだが,今読んでみると改めて胸を打つものがある。今の世にこういう代議士はいないものか。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
現在7章まで読んだところだが,5章の沼津・三島コンビナート反対運動の話は初めて知った。このとき活動した科学者・医者・教育者たちのおかげで柿田川が守られてきた訳か。1964年といえばぼくが生まれた年だが,まさしく高度経済成長の直中だったのだなぁ,と思う。
第6章の水俣病のところでややショックを受けた。というのは,「工場側の反論の先頭にたった東工大の清浦教授の背後に,東大医学部の勝沼春雄教授らの策動があった」と書かれていたからである。勝沼教授といえば,既に故人だが,ぼくが所属する人類生態学教室の元教授で,ぼくが師事した鈴木継美教授と共著で「人類生態学ノート」という本も書いている人である(本当は「晴雄」であるが,宇井さんの本の誤植であろう・・・別人ならいいのだが)。その人が水俣病の問題で工場側に立ったなんて本当なのだろうか? 詳しいことを知らねばなるまい。
第8章でとくに感じるが,水の話そのものについては,中西準子さんの「水の環境戦略」(岩波新書)を併読することが必須である。故人だが田尻宗昭さんの「公害摘発最前線」(岩波新書)も必読と思う。田尻さんの講義を一度だけ受けたことがあるが,意思が如何に大事かということを痛感したものである。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
第10章の下水道の話は呆れるやらびっくりするやらの連続である。宇井さんの家の下水道が本管につながれていなかった手抜き工事だったとか,p.242にある滝沢ハムの食肉加工排水の処理場と,巴波川流域下水道の処理場の100倍近い建設費の差とか,「補助金制度は止めるべき」という筆者の主張には説得力がある。もちろん中西準子さんもいっているように,工程の変更などで発生源で処理をする(汚れを出さない)ことが一番大事であることはいうまでもない。
第11章の沖縄の赤い土と黒い水による海洋汚染については,恥ずかしながら初めて詳細を知った。オニヒトデの異常繁殖は知っていたが,豚の排泄物を処理してサトウキビの肥料に使えば「黒い水」が減って,オニヒトデの生育が止まる可能性があるとは驚きであった。この話,どうしてもっと知られないのだろう?
第12章,産業構造の変化で国内汚染物質は減ってきていることは,中西さんの本にも書いてあった。その分公害輸出が増えていることはあるのだろうと思ってはいたが,具体的事例を知らなかった。森林伐採と同じで,これは戦争による侵略以上に酷いことである。
第13章は環境ホルモンの話である。「民心に不安を与えないためにデータを隠すというのは,あまりに国民を低く見ているのではないか。環境のデータは国民の共有財産である。これを隠すのは犯罪になる」にはまったく同感である。
さて表題の「日本の水はよみがえるか」に対する答えは,本書内には明示的にはない。おそらく,環境科学の市民化がもっと進んで,正しい情報を国民全体が共有するようになったとき,「よみがえる」道への第一歩が踏み出せるというのが宇井さんの主張であろう。そうなればいいのだが。