最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
2050年は江戸時代・衝撃のシミュレーション | 講談社文庫 |
著者 | 出版年 |
石川英輔 | 1998 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
予見とすれば甘すぎる予見ではなかろうか。
もしこうなるとすれば,もっとひどいカタストロフを経ると思う(と思っていたら,後半でカタストロフがあることが仄めかされていた)。先行類書としては,眉村卓と福島正実が書いた「飢餓列島」がある。あれはもう20年以上前の本だと思うが,古くなってないなぁ。
この本は,日本が「大刷新」を経て21世紀には自給自足の農業国(小さな政府で,外国からは相手にされない)へと変貌し,それなりに楽しく暮らしている時代に,長老に20世紀末の日本を振り返らせるという体裁で,小説の形をしたエッセイである。著者の石川英輔さんは,同じ講談社文庫のシリーズで「大江戸神仙伝」「大江戸仙境録」「大江戸遊仙記」などという,「技術者から文筆家になった主人公が,原因不明のタイムスリップ能力を身につけ,現代で流子さんという美人編集者と結婚していながら江戸時代でいな吉という辰巳芸者と結婚し,どっちでもいい思いをする」というとんでもない小説を書いているが,そのシリーズでも江戸時代の環境非侵襲型農業賛美をしているので,主張が一貫していて気持ちいいが,ちょっと考察が甘いのは否めない。まあ「常識」を科学的に疑ってみよう,という科学啓蒙家的な一面は,NHK教育テレビで彼が司会をしている,いろいろな「実験名人」がでてくる番組(月曜夕方の「おまかせアレックス」の後18:50から)からも知ることができるが,まあそういう人である。
20世紀末の日本のさまざまな閉塞状況の観察は鋭いものがあり,頷ける。熟練工の不足は,NHKの「技術立国日本の自叙伝」にでてきた大田区の町工場の衰退の話と重なる。たしかに,最近の機械の故障の多さはひどいものである(コンピュータの電源とか)。しかしそれってアジアの新興工業国からの輸入品ではないのか? 日本の若者ってオタクでモノ作りが好きな人は結構多いと思うけど。問題は,パステルカラーよりもメタリックカラーよりもアースカラーの人気がでるかどうか,ただそれだけのような気がする。あと,フェイクよりも本物が主流になれるかどうか。
現代日本の諸手続の面倒くささは同感である。つまるところ,政府が大きすぎ,仕事をしたい役人が多すぎるのだ。
設定が甘いと思われる点が4つ。医療はどうなっているのか? 抗生物質だけはあるなんてまやかしである。農学だけはすすんでいるということはありうるのか? 「動力を使わずにできる農業技術」が進歩することは可能でも,「そのための品種改良」は他の科学と独立に進展し得ないのではないか? 技術は単独で存在するものではない。病原微生物はそんなにやわではない。この小説には書かれていないが,もちろん線虫や回虫は増えるのだ。工業衰退期の人口が減るのはもう少し時間がかかると思う。フェーズのずれを計算しなければならない。まあカタストロフがあったとすれば激減してもいいのだが,そういう書き方ではない。それから,医師の回顧の語りの中で,この文脈では,小児成人病ではなくて生活習慣病と書くべきであろう。
あとがきにあった読者からの反応3タイプからすると,ぼくの読み方は2番である。ぼく自身東京生まれの東京育ちだから,地元見直し型の読み方はできるはずもない。この書評で批判はしているが,SF的構想そのものの批判ではなくて設定の甘さの批判だから,3番ではない。もっと迫真のものが書けただろうと思えて,惜しいというだけである。既存の価値観にゆさぶりをかけたいという著者の意図は十分に成功していて,良質のSFといえよう。
なお,驚いた記載が一つ。精子数減少についてふれられていたのは文庫版になるときの加筆だろうか? もし1994年時点ですでにかかれていたとすると,著者の着眼の鋭さは文筆家にしておくのが惜しいほどである。