最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
冴子の母娘草 | 集英社文庫 |
著者 | 出版年 |
氷室冴子 | 1996 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
極上のエッセイである。
実は,中学から高校の頃は,氷室冴子さんにはまっていたのだった。「雑居時代」に始まり,「クララ白書」「さようならアルルカン」など,はじめは買うのが恥ずかしかったコバルト文庫だが,いつのまにか平気になり,「なんて素敵にジャパネスク」の頃は氷室さんの既刊のものは全部持っていたのだ(たぶん今は妹が持っていると思う)。語り口が好きだったのだ。
その中でも,「少女小説家は死なない」で示されたセミ・フィクションを面白く書く才能を,如実に発現しているのが,本書である。つまりは鳥瞰的な観察眼と個人の内面を想像してあげる優しさの両方を持っているから,母親とのやりとりを書くだけでも,実に面白いし,読後感が良いのだ。なお,解説の田辺聖子さんも書いているが,氷室さんの<母>の考え方や行動は,かなり昭和初期生まれの女性に共通するものではないかと思うし,その意味で,現在30代の人なら,身につまされるというか,「あるある」と感じて,ちょっと心の隅にひっかかりを残しながら大笑いできること請け合いである。
<娘>の視点以外でも,姪御さんの子育てを通して,「ヒトは,いかに条件によって,つまり環境によって左右されることか。個性だの感性だのたって,どこまで環境や風土によって規定されるか,わかったもんじゃない。」というところまで到達してしまうとは恐れ入った。もし研究を志していたら,きっと優れたフィールドワーカーになっただろうと思う(小説界にとっては大きな損失だったろうけど)。
徒然三十郎 <tkyo4425.ppp.infoweb.ne.jp>
楽しく読めるエッセイではありますが、永く心に残るような深みはないようです。著者のご母堂のコウホートは戦後の個性尊重の影響を強く受けているし、しかも北海道は個人主義的傾向が強いので、彼女はかなり特殊な方だと思います。娘の結婚に執着するエネルギーが見合いではなくTV番組にいってしまうところが、このコウホートらしさでしょうか。それから、先天的なもののみを個性と呼ぶ著者の言葉遣いはおかしいと思います。