最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
生と死が創るもの | 草思社 |
著者 | 出版年 |
柳澤桂子 | 1998 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
帯に「いつも書き上げられるかどうかと心配しながら執筆してきた。・・・・・・そして今,私はほんとうに人生で最後の本を書いている。病状は悪化して起きあがることもできない。食べるものも食道を通過しなくなった。私のできることは,コンピュータのキーボードをたたくことだけである。本を書くことしかできない人間になってしまった。(本文より)」とあるのだが,この帯に強い違和感を覚えたのはぼくだけだろうか。人生最後,と著者が感じているにしても,それを売り物にはしないのが日本的美意識であると思う。なんだか嫌な売り方だ。もちろん著者に責任があるわけではなく,編集の人が仕上げをしたエッセイ集なので,とくに帯の惹句なんかは編集者の責任範囲と思うが。「売る」ことに関しては,発売後1ヶ月あまりで第4刷なので成功しているのだろうが。
美しくて哀しい短歌が織り込まれていて,個々のエッセイは良いものが多いと思う。まあ,中には何のためにこの本に入れたのか理解できないもの(「天才」など)や,誤解を生みやすい記述(「四本脚の蛇」での相同器官の説明など)もあるが,「実生の椿」のやりきれなさや「科学が踏みにじる死」の着眼点は実に優れている。なお,このエッセイ集をより深く理解するには,この掲示板にも書評を載せた,「認められぬ病」を先に読んで,著者のおかれた状況を知っておくことをお薦めする。