最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
絶対音感 | 小学館 |
著者 | 出版年 |
最相葉月 | 1998 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
3月10日に発行されて,7月1日の時点で既に8刷となっていた大ベストセラーであり,さまざまなところで書評もされているので,いまさら付け加えることは何もないような気がするが,敢えて一言二言。
端的にいって,面白い。これならベストセラーになるのも肯ける。入念な取材がなされているし,文章もうまい。
前半は「絶対音感とは何か」という謎解きである。しかしそれは,ある周波数の音に反応する聴神経から言語野のある領域への神経伝達経路が教育によって強化された結果,音と言葉との間に対応がついた状態であるらしい,という一応の結論に至ると同時に,聴覚とは何なのか,音楽とは何なのか,という未解明の謎への扉に過ぎなかったことがわかる。やがて「知覚の原理そのものが,意識しようが無意識であろうが,気になる情報だけから世界を再構成しているということだ。粗いモザイクをつなぎあわせて,その瞬間その瞬間の世の中を把握し,それに時間的な一貫性を与えて世界はずっとここにあるように思う。人間はそうすることによって適宜,さまざまな環境に対応していくことができるのだ。」という認識を経て,音楽とは音による心の伝達であるという論に至る。当然のことながら心とは何かということはわかっていないので,謎は解かれないままなのだが,それでも本書を読むと,音について,聴覚について,果ては知覚全般についてまで,いろいろ思いめぐらさずにはおれず,実に上質な知的刺激である。
特筆すべきは,音楽とは何なのかという問いがクローズアップされてくる辺りからとくに顕著になってくるが,「音楽家たちが音をどのように捉えているか」を音楽家たちの言葉によって示すという手段をとったが故に,こうした論理展開に重みが与えられているところである。本書の終わり近くに著されている,五嶋みどり,龍の天才ヴァイオリニスト姉弟を巡るエピソードは,音楽をわかるとは畢竟人間をわかることに他ならないことを示している。著者がパステルナークのエピソードでいいたかったのも結局そういうことであり,本書の本質は人間賛歌だと感じる。なお,最後のヨー・ヨー・マの演奏の描写にはしびれる。藤原正彦さんによる,堀米ゆず子さんの演奏の描写とか,今野敏さんのハイパー・サイキック・カルテットシリーズの演奏シーンとか,音楽を感じさせてくれるような名描写は他にもあるが,本書の描写の臨場感は,久々にコンサートホールかライブハウスに行きたいという気にならずにはいられなかった。