最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
ホンの幸せ | 集英社文庫 |
著者 | 出版年 |
氷室冴子 | 1998 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
1995年に出版された五部構成のエッセイ集の文庫落ちである。第III部の「防人の歌」には驚いた。「蛍の光」がそういう歌だとは知らなかった。氷室さんと同じく,自分の無知に恥じいり,世代の認識のギャップに気づいて愕然としつつも,教育の恐ろしさを強く感じた一文だった。
第I部「真実はひとつではない」は,切れ味鋭いブックガイドである。第II部の「最後の楽園」に入って例の冴子調の名エッセイになり,第IV部「本の楽しみ」で再び書評に戻る。まあ,書評と言うよりも,本の紹介,というか,氷室さんにとってそれがどういう本だったか/どういう風に好きなのかというスタンスで書かれた文章が主なのだが,それがまた優れた内容紹介にもなっているところが氷室さんのすごさである(…と書いてから読み進めたら,これは,本書の中で田辺聖子さんの書評本について氷室さんが語っていることと同じであった)。第V部の日本古典がらみの解説は,さすがに国文科卒の面目躍如というところか。もちろん,「ざ・ちぇんじ」とか「なんて素敵にジャパネスク」の読者としては彼女の古典への愛と造詣の深さはわかっているので,驚くことはないのだが。
『荻原規子「白鳥異伝」書評』のみ,なぜかこなれていない印象を受けた。また,章題に「書評」とつくのもこの文だけである。この本への思い入れが強すぎるのか逆に弱いのかわからないが,氷室さんの中で他の本とは違う位置を占めているのであろうか,それともこの文を書くときに時間がなかったのか。ふたつ後の,「讃岐典侍日記」の紹介文『好きな古典文学』のこなれかたとは対照的であった。
『フェミニズムについて』だけインタビュー原稿ででもあるのだろうか,話し言葉の丁寧語である。ここで氷室さんが至った「解脱」の境地というのは理解できるのだが,それに気づくのに長い時間を要したというのが不思議な気がする。それだけ相手を信用していたということなのだろうか。いや,でも氷室さんの観察眼からしたらそれは不自然なので,話の展開上のレトリックではなかろうか? …深読みしすぎかもしれないが。
あ,「だけ」ではなかった。「いもうと物語」自作を語る,も話し言葉の丁寧語だった。とすれば,話し言葉の丁寧語であることにはとくに意味はないのかもしれない。書き下ろしとも書かれていないが,初出一覧とかもなくて,どういうわけでこういう構成になっているのかが理解不能であるのは編集者が悪い。ついでに言えば,来生えつこ解説は最低である。氷室さんの作品を初めて読むようなヒトに解説させないで欲しい。世代差でなく個人差と思う。氷室さんの作品の視点は氷室さんの才能である。こういう解説をもってくるのも,編集者が悪い。氷室さんが気の毒だ。
徒然三十郎 <tkyo4233.ppp.infoweb.ne.jp>
「防人の歌」について。「蛍の光」は昔から卒業生を送る歌です。そして、国防は国全体でやることですから、その重要性が歌詞にこめられているのです。歌詞は、千島や沖縄のような小さい島も日本の一部だといっているのであり、これらの軍事的重要性をいっているのではありません。そもそも、明治の戦争感覚では千島や沖縄はさして重要ではないのです。太平洋戦争における沖縄戦は、飛行機が主戦力となり、島を奪って飛行場をつくるという戦法が考案された結果です。
「フェミニズムについて」について。著者はフェミニズムに消極的にのみ賛成なのですが、その消極性を隠蔽するために、つまらないことに大げさな表現をつかって読者の目をそらしているのです。