最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
出生率0(シュッセイリツ ゼロ) | 河出文庫 BUNGEI Collection |
著者 | 出版年 |
大石 圭 | 1999(単行書は1996年) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
ある日突然世界中で子どもが生まれなくなってしまったら世界はどうなるか? というSFのスタイルを借りて,実は人生における希望の重要さを反語的に主張したいのだと読んだ。そうでないと筋が通らない。
解説には,本書に登場する人物は恐怖心をもっていないと書かれていて,それはその通りなのだが,もっていないのは恐怖心だけでなく,向上心もである。ここに目がいってしまうと,普通のパニックSFとして読むことはもはやできない。
大災害の原因が不明なこと自体は,別によいのだ。ただ,原因を追及しようとしたり,所与の状況に正面から逆らおうという人が一人として描かれないのだ。科学者はもちろん出てこないが,一般市民だって何か前向きに考える人がいそうなものだ。抵抗する人ばかりでは,本書が取り敢えずつけたオチと合わないのでまずいだろうが,ヒトはそんなに一様な反応をするものではない。一様でないということは設定に含まれているのに,それでも状況対立型の登場人物が皆無である,ということは,本書の主題が,所与の状況におけるヒトを描くことにではなく,所与の心理状態における行為の帰結を描くことにあるとしか読めない。
そういうことですか?