最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
J-POP進化論 「ヨサホイ節」から「Automatic」へ | 平凡社新書 |
著者 | 出版年 |
佐藤良明 | 1999 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
「宇多田ヒカルのつくり方」とは正反対のベクトルをもつ本である。うたの構成原理を,作り手個人の資質に求めるのではなく,時代の流れに求める。受け手が流行歌(はやりうた)を作るという事実を考えれば,この方法論の方がしっくりくる。歌詞のメロディーへの載せ方の斬新さという点でミスター・チルドレンに注目しているのは同じなのだが,例えば,Automaticで「なーなかいめの」でなくて「な・なかいめの」というリズムに意味があると論じる「宇多田ヒカルのつくり方」よりも,音楽論としての分析は甘いと思う。それでも,クレージーキャッツやドリフターズに,こういう形で言及してくれると嬉しくなってくるのは,ぼくがオヤジ化しているのだろうか。
でも,このやり方ではサブカルチャーというか,大衆音楽以外のものは論じられないのが弱点と思う。PUFFYの先駆者としての高見恭子の「ベジタブル」とか,ヒカシューとかゲルニカとか。また,「はやりうた」にしても網羅しているわけではないのが欲求不満を生む。1970年代後半から80年代前半のニューミュージックブームとそれに先立つアイドルブームへの言及が,それ以前への深さに比べて浅いのも不満である。レベッカ時代のNokkoの歌い方って画期的だったと思うのだが。ヨーロピアン・クラシックの影響をはっきり受けている飯島真理とか広瀬香美とかいった人たちの音楽への言及がないことも,ネーネーズとかザ・ブームに至る琉球音楽やワールドミュージックの影響を論じていないことも,サンセッツとかサディスティック・ミカ・バンドあたりがやっていた独特な和洋折衷のスタイルに触れていないこととかも,あのころの音楽をよく聴いていたぼくにとっては,不満がつのる一因である。。
とはいえ,全体を通してみると,それなりに肯ける記述が多いし,戦前の音楽の異質性にハッとさせられたこともあり,損をした気にはならなかった。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
追記。ヨサホイ節というのがあれのことだとはしらなかった。たしかに,大衆歌謡は下世話になってゆくことが多いのかも知れない。抑圧された民衆の生命力が春歌を成熟させてきたということか。