最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
夕ばえ作戦 | ハルキ文庫 |
著者 | 出版年 |
光瀬龍 | 1999(初出は1965年?) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
このところ意欲的に1960年代から70年代の日本SFを復刻しているハルキ文庫からでた作品である。著者とともにあの頃のジュブナイルSFを支えた眉村卓さんの解説は,ややスタンスが中途半端だが,彼にしか書けない解説であると思う。著者光瀬龍さんは,今年の7月に亡くなっているのだが,偉大な才能だった。わかったようでわからない(褒めているのだよ,念のため)プロットの作品を書かせたら右に出るものはなかったのではあるまいか。「百億の昼と千億の夜」を筆頭にして。
さて,本作はジュブナイルSFの中編が2つ納められているのだが,怪作とでもいう他はない表題作「夕ばえ作戦」と,別れの叙情が溢れ出る冒険の中で少年の自立と成長が描かれる傑作「暁はただ銀色」のカップリングは絶妙である。「バトル・ロワイアル」に倫理面で文句をつける人がいるらしいが,「夕ばえ作戦」の方が倫理観の無さでは遙かに上(下というべきか?)をいっている。タイムマシンを手に入れたのをいいことに,過去の戦いに勝手に介入し,現代の技術を使いまくって過去の忍者を操ったりボロ布のように殺したりして,罪悪感のかけらも感じないという中学1年生の話なのだ。しかも,彼らは何も抑圧されているわけではない。勝手な好奇心と正義感(というほど高級なものではないが)のおもむくままに殺戮を繰り広げるのだ。人の生死というものに関して肉体感覚を欠いているとしか思えない。殺人であるという写実的描写が避けられているために,戦いということに抵抗を感じないで,読者が血沸き肉踊ってしまうことを意図しているとしたら,これが学習雑誌に載っていたということは恐るべしである。中学生の過去へのタイムスリップという設定は同じでも,眉村卓さんの「とらえられたスクールバス」の主人公たちが過去の人間も人間として扱っていたのに比べると,「夕ばえ作戦」に出てくる過去の大人たちは戯画的で人間扱いされていない。
しかし,子どもは社会化されていない存在だから,必ずしも広い視野をもたせたり多面的価値に気づかせたりする教育的な作品ばかりを読ませる必要はなくて,チャンバラを楽しみ,知恵を絞って大人に勝つという話の主人公になりきって冒険活劇を楽しむのも,悪いことばかりではないかもしれない。本作品中に唯一存在する葛藤は,風魔のリーダーが和戦をとく妹をどう扱うか悩む場面なのだが,それを主人公が知らないという設定にすることによって,主人公の陥るべき葛藤を意図的に避けている。つまり,著者の意図は,面倒くさいことを考えさせずに読者を臨戦の興奮に巻き込むことにあり,その意味では成功しているのだと思うが,戦いの相手を人間にしてしまった点で,人間を軽視するかもしれない危険を冒していると思う。大人に勝つといったって,現実の大人はそんなに甘くないのだ。もっとも,そうだからこそ小説で甘い夢を見せようといのかもしれないが。
眉村さんが解説で書いているように,当時は過去の忍者が超人的な活躍をするのが普通だったために,アンチテーゼとして現代の栄養が良い中学生の方が忍者より強いかもしれないという提示をしたというなら,それは画期的だったかもしれないが,典型的な進歩史観に基づくもので,少しでも人類学を囓った読者にとっては気持ち悪いことこの上ない。つまり,現在が過去より偉い,科学技術は伝承より強い,文明は未開より強い,という前提に立ったきわめて単純な話なので,発表から30年以上経って当時の現代が過去となり,そういう単純な進歩史観では人類が存続できないことが明らかになってしまった1999年現在の小中学生には読ませたくないのである。いっそ小松左京「青い宇宙の冒険」みたいに,敵を無生物にした方が「勝つ」話としては読後感が良い。そういうわけで,ぼくは「夕ばえ作戦」は嫌いだが,荒唐無稽なチャンバラ話としてはうまくできていることは否定しない。月刊誌に連載されていた当時の子どもたちは,新しい号が発売されるのを首を長くして待っていたことだろう。
さて,カップリングされている「暁はただ銀色」だが,こちらは掛け値なしに傑作である。心の動きをもう少し書き込んでくれた方が好みではあるが,想像するに十分な叙事的記述が提供されているので,これでもよい。侵略テーマで書かれた作品としては,かなり先駆的な侵略形態だったのではなかろうか(ネタバレになるのでこれ以上は書けないが)。詳しい説明は提供されていないのでハードSFとはいいがたいが,現在書かれるならば科学的説明を与えることも可能な設定であり,著者の着眼の鋭さを感じる。なお,地球外文明から飛来したと思われる未知の物体への東北大学の研究者の対応の仕方の描写が,いかにも研究者らしくてよい。これを読んだ子どもは,研究者を志すかもしれない。