最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
すべての怒りは水のごとくに | 角川文庫 |
著者 | 出版年 |
灰谷健次郎 | 1999(単行書は1997年,倫書房) |
中澤 <kashiwa1b-13.teleway.ne.jp> website
本書は,「天の瞳(幼年編<http://minato.sip21c.org/bookreview/oldreviews/19990901094313.html>,少年編<http://minato.sip21c.org/bookreview/oldreviews/19990908132848.html>)」の主人公,倫太郎のモデルとなった人物が,長じて起こした出版社,「倫書房」から出版された,灰谷さんのエッセイ集である。教育と社会の問題について,灰谷さんの思いの丈を綴ったものであり,うなずける点が多い。意外だったのは,ピースボートと同行したという共和国(朝鮮民主主義人民共和国,いわゆる北朝鮮だが,灰谷さんは表題以外では一貫して共和国と表記している)の記録である。たしかに自分の目でみないと確かなことはわからないというのは同感だが,他の点では「見せられた」と意識しているのに,飢餓に関してだけは,それがないところだけ見せられたのではないと信じているらしいのが不思議である。価値観とモノサシの違う場所に行って,こちらのモノサシを押しつけることは傲慢であり,ただ見たまま,感じたまま,というのは正しいと思うが,問題は,きちんとありのままを見せてくれるかどうかではないか。子どもの教育や自然の暮らしといったことに関して発揮される鋭さに比して,この章は見方が甘く,単なる紀行文になってしまっている。
異質な章は,内田也哉子・本木雅弘夫妻が訪問してきたという話である。子どもの頃から知っている也哉子ちゃんの夫であるモッくんがいい男だということを書きたかったのはわかるが,前後とのつながりが感じられない。つまり,子どもの詩や手紙に基づいて展開される「子どもを馬鹿にするな」論は読み応えがあるのだが,そこに挿入される体験談(日常エッセイ)とのバランスがやや悪く,統一性を欠くように思う。編集の狙いが,ぼくにはわからない。