最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
詩的私的ジャック(JACK THE POETICAL PRIVATE) | 講談社文庫 |
著者 | 出版年 |
森博嗣 | 1999(単行書は1997年) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
建築学科の犀川助教授が探偵役を務めるシリーズものの文庫落ち4作目。このシリーズは「封印再度(WHO INSIDE)」を除いては文庫に入るたびに読み進めることにしている。お嬢様が狂言回しなのはいいとして,犀川助教授がそれに引っ張られてゆくのは,肉体をもった人間の不確実性,あるいは脳の不完全性をいいたいのだろうか? 全体としては諧謔性は健在なのだが,作品数を重ねるごとに意外性が落ちていくのはシリーズものの宿命であろう。
タイトルのジャックはJACK THE RIPPERを意味する。犯人が被害者の女性の身体にナイフで傷をつけるところから来ているのだが,作者が用意した説明はちょっと強引である。以下ネタばれのため改行する。しかし,これまでのところ,常に「探偵以外で一番頭のいい奴」が犯人となっているのは,もしかするとこのシリーズの縛りとして,わざとやっているのだろうか?
E. Shioda <153.pool17.tokyo.att.ne.jp> website
何週間か前に読みました。わたしは初回(すべてがFになる)のお嬢様
のキャラクタが好きだったんですが、回を増すごとにお嬢様が意外な人
ではなく、ただのお金持ちになってしまっているのが残念です。レトルトカレーって何だろうと思ったが、笑われるから聞かなかった、
に匹敵する笑いが欲しいのですが……。本筋ではないところで期待して
しまっていますね。さて:
このシリーズは三冊読んだけれど、犀川のキャラクタというのがどうも
よくつかめず、とくに萌絵との会話のシーンになるとどこかに違和感が
ある。理由をあれこれ考えてみた。パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズのようにすべてが1人称、
島田荘司の御手洗シリーズのように話者(一定の視点)があるスタイル
に慣れているから、なのかもしれない。はっきり書けば感情移入が困難
ということか。コーヒーと煙草が好きと言っても、豆の種類も出てきて
いないようだし、香りが漂ってこない。コーヒーなら何でもいいという
ことはコーヒー好きにはあり得ないと思うし、うまい、そこそこうまい、
甘いインスタントは嫌だ程度ではなく、利き酒ならずの利き豆をやって
ほしいところだ。たぶん、御手洗潔のようにとことんぶっ飛んだキャラクタか、身近な人
か、わたしが犀川を分類したがっているということなのだろうと思うが、
トリックが売りの本と登場人物が売りの本があれば、両方の要素が無理
なら後者を取りたいわたしとしては物足りなさがある。