最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
翻訳者の仕事部屋 | 飛鳥新社 |
著者 | 出版年 |
深町眞理子 | 1999 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
ぼくが敬愛してやまない訳文を紡ぎ出す名翻訳者,深町眞理子さんの,最初にしてたぶん最後ではないかと思われるエッセイ集である。エッセイ集とはいっても,訳者は役者たらんとして,黒子に徹することを目指している深町さんのこと,この本のために書き下ろしたわけではなくて,これまでに発表されたエッセイに,ほとんど手を加えないで(注の追加はあるが),コンパイルしたものとなっている。そのため重複が多いのだが,何を強く主張したいのかがはっきりわかってかえってよい点もある,というのはさすがに贔屓の引き倒しか?
大きく分けると第一部「私の翻訳作法」と巻末の「フカマチ式翻訳実践講座」に書かれているのが,翻訳を主題としたもの,第二部「仕事机から離れて」が自伝的なもの,第三部「こんな本を訳したり読んだり」が書評的なもの,それに完全な訳書目録からなる。ファンとしては訳書目録が嬉しい(深町さん自身も嬉しかったそうだ)。「アトランの女王」「ルーンの杖秘録」「子供の消えた惑星」「隅の老人の事件簿」「シュロック・ホームズの回想」「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」「燃えつきた橋」「わが目の悪魔」「ファイアスターター」といった作品は,みんな深町さんの訳で読んだものだ。彼女の訳の何が凄いって,不自然でなく,しかも格調高いという点だ。
「フカマチ式」翻訳実践講座に書かれていることはかなりその通りだと思うのだが(とくに,全体の流れを掴んで文脈に即して訳語を選ぶべきという点),日本語の感覚を鋭敏にしておかねばならないというのは大変なことだ。
ぼくの母の高校の先輩だということを著者略歴を読んで初めて知ったが(ぼくの母も「秋の日のヴィオロンのためいきの…」の原詩を諳んじていたから,榊原政常先生は深町さんが卒業してからも暫くは教鞭をとっていたのだろう),そういうお年齢の方があれだけSFを訳せるというのは,固定観念に縛られていないということだろう。まったく敬服する。
この本への唯一の反論は,ぼくの世代だと,日常会話でその場にいない人を指していう「彼女は…」「彼は…」という言い方には全く違和感はないという点である。それとも,これはぼくの言語感覚がおかしいのだろうか?