最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
信濃に生きる 長寿の里を訪ねて | 共同通信社 |
著者 | 出版年 |
宮原安春 | 1999 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
昨春から信濃に生きることになったぼくとしては,こういうタイトルの本は,読まずにはいられないのである。プロローグの文章の会話文の入れ方に癖があって,会話主体がはっきりしないのでわかりにくい点で,だいぶん損をしていると思う。もう少しとっつきやすい導入にすれば,売れてしかるべき本である。
内容を一言で言えば,長野県が平均寿命と健康余命が全国屈指の長さを誇るのは何故か? という謎を探るために,県内各地の老人の生活を観察したり聞き取ったりした結果報告である。沖縄と違って気候がよいわけでもなければ,塩分摂取が少ないということもないのだが,何故か老人が元気で生活しているのである。高齢化社会において医療費の高騰,一人暮らしの老人への福祉の問題,といったことがクローズアップされている現在,信濃の老人たちの生き方を知ることの意味は少なくない。
感心する事例や老人たちの言葉が多々あるので,いくつか紹介しておこう。
まず,自殺者が多かった南信濃村が,如何にして「福祉の里」としての再生を果たしたのか? という話について。デイサービスで集まった老人たちが元気を出すために,伝統的に祭りが重要な位置を占めてきた(厳しい自然環境,苦しい生活の中で,祭りというハレの日に欲求不満を爆発させ,若い人は夜を徹して踊るのが通例であった)ことを利用して,輪になってソーラン節を踊るというイベントを取り入れたのは,実に慧眼である。「福祉の里」のきっかけを作った片町伊十医師のいう「老人はそもそも明るいものなのです。モノ,カネの基準から解放され,社会的責任も関係なくなる。ここで自分自身を取り戻し,生き生きしてくる」は,その通りと思う。一般にはなかなかその本来の姿になれないものなのだが,「福祉の里」のデイサービスによって孤立感,老後不安が解消され,明日を考えて「生涯現役」で頑張ろうと生き,しかも生に執着することなく,死ぬときは死ぬし,やるだけのことはやったからいいではないかという達観の境地を得ているという片町医師の言葉が事実なら,これは理想的な社会福祉サービスのあり方ではないかと思う。伝統を踏まえたサービスという点が鍵なのであろうが。
次は山奥ということで有名な栄村の秋山郷で竹畑を作っている阿部さんの言葉。「経済成長がとまってよかったんじゃないかな。いまになって,自然のなかで素朴に暮らすよさがわかってきたと思うんだ」
こういえるようになると,強いのである。これを支えているのが,ほんのちょっとしたデイサービスとホームヘルパーであるというのが,驚きである。それは,社会資本として当然支払われるべきコストであり,土木工事よりも優先されてしかるべきと思う。介護保険という形での自己負担は果たして健全な社会にとって正当なやりかたなのかという疑問がわく。エピローグにまとめられているように,都会で濡れ落ち葉と揶揄される定年退職後サラリーマンとは違って,やるべきことをもち忙しく暮らしているのが,信濃の老人が元気でいられる秘訣なのだろう,と納得させられる。全国一律の介護保険には問題が多々あるという指摘も,このように実例を積み重ねた上でなされるので,説得力がある。
信濃に生きるすべての人に,そして都会の身過ぎ世過ぎに疲れ果てた定年予備軍の方にも,お薦めしたい好著である。