最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
猿の証言 | 新潮文庫 |
著者 | 出版年 |
北川歩美 | 2000年(単行書は1997年) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
チンパンジーの言語能力の研究に没頭する学者がテレビ取材時に問題を起こして失踪する。しばらく経って見つかったところで再度失踪,1頭のチンパンジーの子どもが残されていたことから,彼が殺されたのではないかという疑念が起こる。残されていたチンパンジーは言語能力の実験対象だったことから,殺人を見ていたなら証言ができるはずと着想した学者の妹は,このチンパンジーから「証言」を引き出そうとする。さて真相は如何に? という謎解き小説。一見SFかと思うような設定だが,きちんと論理的な説明がつけられて,ミステリ読みにも満足できる。以下,書評ではなくなってしまうが,この小説を読んでの感想。
ヒト・クローンを作りたいと思う人の動機も,必要性なんか関係なくて,好奇心だと思う。基本的に研究の最大の動因は好奇心だ。研究に限らない。ヒトが,これほどまでに文化を発達させ継承させてきたのは,好奇心が脳の本性だからに違いない。ヒト・クローンなど,ヒトを対象とする実験に対する歯止めは,自分が被験者だったら,と考えることだけではないだろうか。つまり,実行してしまう人がいるとしたら,想像力,あるいは共感または感情移入する能力が欠けているためだ。藤原正彦さんだったら,情緒力というかもしれない。自分がされて嫌なことは他人にもしない方が世の中の不幸は減るはずだということは,まともな想像力があれば自然に思いつくだろう。好奇心に比べて想像力が足りないと,見切りをつけてやってみてしまうことになる。悲しいかな,それが何度も起こってきたことは,歴史が証明している。核分裂反応の応用とか,PCBの応用とか。好奇心が勝っているのがヒトの脳の本性だとするならば,意図的に想像力を強化してやって,初めてバランスがとれることになる。コンピュータ・シミュレーションの発達は,そういう,脳の補償機能の外在化ではないだろうか?