最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
βの悲劇 THE DOME -ドーム- | 角川文庫 |
著者 | 出版年 |
夏樹静子,五十嵐均 | 2000年(1996年7月刊の単行書を加筆訂正) |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
「ドーム - 終末への序曲」を読んだのはいつのことだっただろうか。アリゾナの砂漠に実際に作られたバイオスフィア2が8人を2年間居住させるためにどれだけの金と資材を投入し,どれだけ予想外の事態が起こったのかを考えると(詳細はアリング&ネルソン「バイオスフィア実験生活」講談社ブルーバックス参照),夏樹静子,五十嵐均の兄妹が描き出す人工閉鎖空間であるドームの収容人口1000人というのが,どれほど途方もないことかよくわかる。ドームという物語では,世界熱核戦争が起こった後にも人類を生き延びさせるという意図で,南太平洋の小島に物質的には完全な閉鎖系となる「ドーム」が建築され,それにともなってさまざまな人間模様が展開される。ドーム構築にかかわる科学的データも興味を引いたが,それ以上に巨大プロジェクトにおける人間のあり方についていろいろ考えさせられた(なお,著者あとがきによると,改題され,加筆修正されて来月角川文庫から出るそうだ)。
本書はその後日談である。冷戦終結によってドームが核戦争対策としての存在意義を失いつつある状況下,カナリア諸島のフォアグラ工場で突然変異を起こし,猛毒性と強い感染力を獲得した突然変異インフルエンザウイルス(βの形に見えるのでβウイルスと呼ぶ,という)が世界中に広がって人類が滅亡の危機を迎える。βウイルスが南太平洋にやってくる前にドームを閉鎖して人類という種を残そうと努力する人々と,自分が助かりたいとエゴイズムを剥き出しにする人々の軋轢が物語の中心になる。極限状況における人間を描いているという意味で,パニック小説としてはよくできている。しかし,せっかくのネタを生かしきっていないように思った点も多々ある。
著者たちは科学的裏付けによってリアリティを出したといいたいらしいが,生物学的には穴だらけであり,朱ペンをもって修正したくなるほどだった。細菌学とウイルス学は区別して欲しいし,インフルエンザウイルスを走査電顕でみたら丸に近い形だから,「紐状のウイルスに混じって」云々というくだりはおかしい。βの形に似ていたからβウイルスというのは,おおかた鈴木光司「リング」から得た着想だろうが,インフルエンザを元にするには無理がありすぎる。しかも,舞台設定が2000年夏というちょうど今であることを考えると,それが専門家の発想として出てくるあたりが納得できない。徐々に潜伏期間が長くなるという話とリンパ節で増えるとかいう話は,「ペスト」からの連想と思われるが,これも喉の粘膜で増殖する筈のインフルエンザの変異ウイルスにしてはおかしい。最適病原性の進化ということに関して半可通であることを露呈している。スプライシングという言葉の使い方もまったくおかしいし,文庫に入れるにあたって加筆修正したなら,抗ウイルス薬(アマンタジンとかNG115とか)が既にできはじめていることを取り入れなくてはリアリティがない。遺伝子工学的な新しいワクチンだけど実用化されていないといって何度も紹介される話があるが,今日ではDNAワクチンと呼ぶのが普通であり,インフルエンザについても臨床試験が行われているはずである。ワーディングも変な点があるし,誰か専門家に読ませてチェックすべきだったと思う。たぶん,本音では,著者たちにとって科学的詳細はどうでもいいことなのだろうと思われ,その点,「夏の災厄」における篠田節子や「パラサイト・イヴ」「ブレイン・ヴァレー」における瀬名秀明の態度とは対照的である。
では著者たちの狙いであると思われる極限状況における人間についてはどうか? とみると,なるほど,ウイルスと戦う科学者や政府関係者,人類の未来を考えるドーム関連の人々,無力だったりパニックを起こしたりする一般の人々,ドーム乗っ取りを企む国家や宗教団体(オウムをモデルにしていることが明白),この隙に乗じて覇権をもくろむ国家,といったさまざまな立場が臨場感をもって描かれ,見事である。しかし,ここに付け加えて欲しいのは,ディープエコロジストとかアニマルライツの人たちの行動である。変節する人もいるだろうし,鳥には鳥の生存権があるのだからウイルスのベクターになっているからといって撃ち殺してはいけないという人もでてくるだろうし,物語に深みがでるだろうと思われる。惜しいのである。
まあ,これだけ文句をつけるのも,基本構想とストーリーテリングが面白かったからなんだけどね。