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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『不平等社会日本』

書名出版社
不平等社会日本中公新書
著者出版年
佐藤俊樹2000年



Nov 07 (tue), 2000, 18:26

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

著者は東京大学国際社会科学専攻相関社会科学コース助教授。SSMという大規模社会調査データを統計解析して,見かけの機会均等とは違って日本は実は不平等な階級社会なのだと論じたのが話題を呼んで,ベストセラーになった本であるが,実はかなりトンデモ本に近い。

論理がいったりきたりするし,同じ主張の繰り返しが多いし,主観的解釈とデータから言えることが不分明だし,卒業論文だったら3点満点の2点くらいではないだろうか。批判するという目的がなかったら投げ出したいくらいだと読んでいて何度も思った。以下,具体的に批判するので,反論があればここに書き込んで欲しいと思う。

著者の主張を支える鍵となる結果は,団塊の世代になって,W雇上(40歳時点でホワイトカラー被雇用者管理職・専門職の人)の要因として,父親がW雇上であることのオッズ比が急上昇して戦前レベルに戻ったということにあり,形を変えて何度も同じ結果が引用されるのだが,最初にその結果を出す前に,著者自身,団塊の世代についてはA票の結果しかないから「サンプリング誤差がかなり見込まれる(p.58)」ため,2005年調査までははっきりしたことは言えないことを認めていて,度々論拠にするほど確かな結果ではない。これが最大の問題点。

2点目は,統計の恣意的な解釈である。信頼区間がついていないオッズ比など何の意味もないという点を別にしても妙な点がいくつもある。例えば,p.59~60で「やや見づらい表で申し訳ないが,要するに「差がある」といえるのは二つ,一八九六~一九一五年生まれの「明治のしっぽ」と一九二六~四五年生まれの「昭和ヒトケタ」の間,そして「昭和ヒトケタ」と一九三六~五五年生まれの「団塊の世代」の間である」として引用されている表を見ると,有意確率は0.094と0.071なのだ。これには,どこで有意水準が10%になったのだろう? と首をかしげざるを得ないし,p.29では「実績主義者の方が年齢と収入に関連性があるのだ。それに対して,努力主義の方はほとんど関連しない」と書かれているので表を見ると,「実績をあげた人ほど収入を多く得るのが望ましい」と答えた人では年齢と収入の相関係数が0.292,「努力した人ほど収入を多く得るのが望ましい」と答えた人では年齢と収入の相関係数が0.199で,たかだか対象者の分散の9%,4%程度を説明するに過ぎない上,相関係数が0である確率(これが相関係数の有意性の検定の意味)は,どちらも0.000である。これなら,どちらについても「関連はゼロでない」と読むのがまっとうな統計的解釈だということは,学部学生だってわかることだ。

もう一つ例をあげよう。p.78~79で,「経済学でも例えば樋口美雄が,(1)親の収入と子どもの進学が強く関連しており,(2)四年制大学卒が管理職になりやすいことを示している。けれども,直接検証されたことはなかった」として,父親の職業と本人の職業が関連する「選抜を通じた再生産メカニズム」があることを本書が示したと威張っているのは,統計的推論のイロハを無視した言明である。樋口氏の指摘が正しいとすれば,著者が言いたいようなことを言うためには,本人の学歴をコントロールして,「学歴の影響を排除しても父親の職業と本人の職業は関連している」といわねばならないとするのが統計学である。コクラン=マンテルヘンツェルの要約オッズ比とか,ロジスティック回帰とか,手法はいくらでもある(他にコントロールすべき変数も収入とか居住地域とかたくさんある)のに,やらないで結論に飛びつくのはおかしい。著者の言明のおかしさを喩えていえば,小学生を調査して,(1)身長は年齢と関連している,(2)年齢が高いほど児童会の役職に付き易い,から身長と児童会の役職の相関を直接検定したら有意だったので,(★)身長が高いほど児童会の役職に付き易い,と言っているようなものだ。こう書いてみれば,同年齢で比較しなくては意味がない,つまり介在する変数である(注目する変数間の関連をみるには撹乱要因とみなすことができる)年齢をコントロールしなくては意味がない言明であることは誰にでもわかるのだが,本書のような書き方をされると騙されてしまいがちである。

SSM調査はランダムサンプリングだといって,回収率が60%から90%近くまで異なり,デザインすら違う調査年度のデータを比較しているのも解せない。回収率は日本ではこの程度と開き直るのではなく,回答が得られなくてもわかる属性くらいは比較して,回収できなかったケースに偏りがなかったかを確認するのは社会調査の基本ではないのか? それなしでは,調査自体の信頼性が評価できないではないか。

しかし,どうしてこんな内容なのだろう? 専門分野の違いを考慮しても,社会学というのがこんなに統計的誤りがあっても通る分野だとは思われない。SSM調査には,何か統計的解釈を曲げてでもこの結論を出さねばならない理由があったのだろうか? それとも,一般書だから強烈な主張をしなくてはと思ってサービス精神を発揮したのだろうか?

以上が,3章まで読んだ時点での批判点である。それ以降でロジスティック回帰分析もやっているのだが(ただし上で指摘したのとは異なる変数についてだ),それならそれで,基礎集計や二変量統計の段階でいうことは,それから言えることにとどめるべきだ。どちらにしても,研究者としての良心に欠けていると言わざるを得ない記載の仕方である。

もっとも,因果関係としてではなく,現象としてみれば,親の職業と子どもの職業にある程度の関連があるのは確かだと思う。技術を継承するという観点に立ってみれば,親の職業を継ぎたいと思う子どもがいることは悪いことではないし,そのことは本書にも書かれている。著者が問題にしているのは,生まれによって就業機会が不平等になるという点である。科学MLで話題になったときに書いたが,職業選択の自由を確保し生まれによらない機会均等を保障するには,親の職業による枠組み規制をするのではなく,生涯教育や社会人教育の機会を増やすことによって市民全体の教養の水準を上げ,どのような学歴をもった親であっても子どもの教育環境が悪くないようにもっていくとか,国立大学の授業料を下げて親の収入が教育を受ける機会の制限要因にならないようにするとかいった対策をすすめるべきだと思う。

長い後書きは,著者に本書を書かせた怨念めいた動機を感じさせるが,著者が,自身の感性に一点の疑いももっていないらしい点に傲慢さが見える。池澤夏樹や川端裕人の自己を客観しする視点とは対照的だ。結局,最後まで我田引水と牽強付会だらけの本だった(から,たぶん確信犯なのだろう)。一般読者の方は,くれぐれも鵜呑みにしないようにご注意されたい。

なお,著者自身が最後のほうで「九五年SSM調査研究は,社会学・教育社会学を中心に,総勢一〇〇名を超えるメンバーによる共同作業である。私はその一人にすぎない。私の分析や主張は,九五年SSM調査研究を代表するものではまったくない。階層の再固定化にしても,私とはちがった読み方や解釈をしているメンバーは少なくない」と認めているので,ちょっとほっとしたが,SSM調査自体は大きな可能性を秘めたデータだと思う。是非分析のやり直しをして欲しいものである。

●税別660円,ISBN 4-12-101537-1(Amazon | honto


Nov 15 (wed), 2000, 19:03

中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website

話題の本なので,WEB上でも多くの書評が読める。

http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/20000730iii1.htm
は,東工大の上田助教授によって読売新聞に載ったものらしいが,真面目に読んでないんじゃないかとしか思えない。上に書いたとおり,強引で不適切な解釈のオンパレードである本書の統計解析に対して,「極めて的確な手法を用いた分析」というのは噴飯モノである。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no142/syohyou.htm
は連合総研の手嶋研究員による書評,というか内容紹介。著者の主張をそのまま反映している。

http://www.ywad.com/books/711.html
は,wadさんという方の比較的冷静な書評。批判ではない,と控えめにされているが,この方の指摘はもっともだと思う。そんなに著者に対して気を使わなくてもいいのに。

http://www.nnn.co.jp/tokuhou/200007nktoku.html
は,日本海新聞の7月の「特報」なのだが,こういう引用の仕方が一番困る。実は記者が予め書きたいことがあって,それを補強するために権威付けとして使っているに過ぎない。もしかしたら読んでいないのかも。

「理科教育ML」とか「Science ML」では本書の統計の怪しさがきちんと指摘されたが,文系のMLや掲示板ではどういう取り上げられ方をしたのかがちょっと気になる。情報が欲しいところ。


Nov 20 (mon), 2000, 20:07

徒然三十郎 <snjk036k001.ppp.infoweb.ne.jp>

まず中澤さんへのコメント。著者は、親の収入-進学しやすさ-管理職へのなりやすさ、という要因の連鎖において、中間の要因を省いて検証することを「直接検証」(p.79)すると呼ぶのではないでしょうか。学歴をコントロールしても管理職へのなりやすさの違いが残るかどうかは重要視されていないようにみえます。

相関係数についての説明、「年齢と年収が完全に正比例する場合には一、完全に反比例する場合にはマイナス一、そうした直線的な関連性がない場合は〇になる」(p.29)をみたら、統計上の問題を云々する気力がなくなりました。これはもはや国家公務員の信用失墜行為ではないでしょうか。

統計の信頼性の問題を棚にあげるとしても、本書には重大な問題があります。著者は「非W雇上出身者」について「W雇上につく比率は実は順調にふえている」ことを認めております(p.90)。ここに自分が「W雇上」になれば息子も高い確率で「W雇上」になれるというボーナスがくわわったとしたら、「努力すればナントカなる」「努力してもしかたない」の二分法でどちらの社会でしょう。これを後者だといいくるめるのだからたいしたものです。

一言でいえば本書は左翼プロパガンダ本です。大局的な目標は日本人を「W雇上」とそれ以外に分断して階級闘争を生じさせることでしょうが、当面の目標は次回SSMの予算確保と思われます。階級の再固定化が言われているがそれを確認するためには・・・と文部省にもちかけることでしょう。彼らは、職業に上下をつけるためには、調査票に「世間では一般に、これらの職業を高いとか低いとかいうふうに区別することもあるようですが」(p.192)と自作自演を書くような人たちです。


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