最終更新:2019年2月13日(水)
書名 | 出版社 |
ウェルカム・人口減少社会 | 文春新書 |
著者 | 出版年 |
藤正 巖,古川俊之 | 2000年 |
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
厚生省,労働省など政府をあげて「少子化は問題だ」という大合唱が鳴り響くご時世に,そのおかしさを指摘し,人口減少社会はウェルカムだとする本書の主旨には大きな価値がある。例えば,『少子危機論者の偏見を暴く(p.43)』と題して,将来人口推計,消費・投資など項目別に少子化に危機感を訴える言説を切れ味鋭く批判していくくだりなど,実に爽快である。
ただ,よくよく読んでみると,その議論の乱暴さに辟易する。全体の論旨として「少産少死は文明社会が目指してきた理想像であり人口減少社会は必然の帰結だ」という見方の提示は,まあ正しい。しかし,人口学に無知な故に人口学の成果を矮小化する,たとえば第3章の書き方なんかは,ちょっと許し難い。人口学には形式人口学もあれば,数理人口学もあれば,生物人口学だってあるのだ。断じて人口政策学だけが人口学なのではない。ほとんどマルサスどまりの理解に基づいて人口学を『非科学的』と批判しておいて,科学的な見方だといって出してくる大層な名前のモデルを使ってなされた予測が,安定人口モデルで何十年も前に解けている内容から一歩も出ていないのは,滑稽といってよい。しかも,肝心なところで間違っている(というか,不正確である)。安定人口における人口ピラミッドの形を決めるのは,死亡率ではなくて,出生率である。このことは,例えば,過日の人口潮流シンポジウム(http://wwwsoc.nii.ac.jp/jinrui/ksimpo.htm)での金子隆一さんの計算結果(pdfファイル=http://minato.sip21c.org/humeco/anthro2000/kaneko.pdf)などにクリアに見ることができる。意図的にやっているのなら不愉快だし,知らずにやっているなら不勉強だと思う。藤正・古川ともあろう方々が,なぜこのような乱暴な本を書いたのかわからないが,ちょっとひどいのではないか。著者の藤正さんは医用工学,古川さんは医学統計の大家で,2人とも医師なのだが,人口学にはもともと素人であることを自覚し,もう少し謙虚であるべきだったと思う。
人口学のなかで,出生力転換に関して論じられてきたこと(例えば,http://minato.sip21c.org/demotran.html)を無視して,『大人も子供も死ななくなった社会は,人を消耗品とする戦争に駆り立てる動機さえ存在しなければ,必然的に多くの子供を必要としなくなった(p.14)』とか,『「子どもは一種の奢侈財である」という社会学者の見方もあり,通常,経済状況がよくなると出生数は増加するといわれてきた(p.89)』などと言い切ってしまうのは,その論拠が明示されていないだけにまずいと思う。『すべての文明国では,人々は地球の環境的,エネルギー的,その他諸々な状況が飽和状態にあることを,マスコミなどの情報によって知らされる。しかも,生まれる子どもが死ぬことはまずない。したがって,次の世代を産む女性は,自分の子どもの数を自分たちより多く使用とは考えなくなる(p.83)』というのも,理想子ども数とか希望子ども数のデータをまったく無視した乱暴な議論である。
また,論理構造が甘いところもある。例えば,『「先進国で寿命が延びたのは貧困と無知の追放による」のである。医療には平均寿命を延ばすほどの力はない。(p.55)』と著者らが述べる根拠は,鉄門倶楽部(東京大学医学部同窓会)会員の生存曲線が現在の日本人の生命表とまったく同じという点にあるのだが,個人レベルの議論と集団レベルの議論を混同している(か,おそらくレトリックである)。平均寿命というのは集団レベルの話で,それに医療水準という要因が影響を与えているかどうかを論じるのに,鉄門倶楽部会員というごく少数のメンバー(しかも若齢時の年齢別死亡率がない)の人口動態をみるのは適切でない。先進国で途上国よりも平均寿命が長いのは子どもが死なないからであり,これには医療水準の向上が寄与していることは明らかである。地域相関分析以外の方法で「長寿が達成された経緯を多変量解析の方法を応用して分析」したのだとしたら,時系列で分析したのだと思うが,そもそも途上国が経済成長する過程では,経済成長と情報量の増加と医療水準の上昇のすべてが起こるわけで,統計的に内部相関が高いと思われるこれらの効果のうち,医療水準の偏相関係数が有意でなかったとしても,そこに因果関係としての意味があるかどうかは論理的に判断不可能である。
先日の信濃毎日新聞の書評欄には,著者のビッグネームを信じてしまったのか,本書を鵜呑みにした評が載っていたことなどを見るにつけ,日本人口学会としてきちんと批判を出しておくべきではないだろうかと感じる。
なお,本書の議論が徹底してマクロな視点からなされていて,最初に書いたようにその割り切り方は爽快感を感じるほどだが,本書はそういう趣旨なのだということを読者は弁えて読むべきである。本書からは意図的に排除されているのだと思うが,実際には,ローカルでミクロな視点も大事である。介護保険なんて,高齢者の相互扶助の思想というならば,地域社会に任せるべき問題だと思う。
総じて言えば,なんとも玉石混淆の本だといえる。あれだけ人口学を馬鹿にして独自モデルで計算しているのだから,マクロ経済だけ仲間がいるから立てるなんてことはやめて,あそこも独自モデルでやれば良かったのに。著者たち自身,馴れ合いと既得権の構造から脱却し切れておらず,格好悪いと思う。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
今年になって省庁再編で厚生省と労働省は「厚生労働省」(http://www.mhlw.go.jp/)になったのを失念していたので,上記書評の文頭のところは,そのように読みかえていただきたい。
中澤 <k1-1.humeco.m.u-tokyo.ac.jp> website
日本人口学会の学会誌である「人口学研究」第27号(2000年12月刊行)の新刊短評欄で,日本女子大の大友篤先生が,本書について「高齢化や少子化そして人口減少を日本の当然の成り行きと受け止め,それを前提に政策立案を提言しようとしている点は,評者も,かねてから同様のことを考えていた」けれども,一方で本書が人口学を人口政策の基礎論と位置付けていることを批判して,「おそらく多くの人口学者は,人口学をそのような狭い学問とは考えていない」と書かれていたのには,ぼくとほぼ同じ見方なので,意を強くした。