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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『『メイフラワー号・プリマス開拓村』』

書名出版社
『メイフラワー号・プリマス開拓村』燦葉出版社
著者出版年
志茂望信2000年



Feb 19 (mon), 2001, 13:38

堀江義隆 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

ければ幸甚です。


『メイフラワー号、プリマス開拓村 - 自由市民の国造りの話』、

 PLIMOTHPLANTATION, Japanese Edition

 文:志茂望信 

 写真:Plimoth Plantation, Inc. 

 印刷:大日本印刷株式会社

 発行:2000年6月21日


 燦葉-さんようー出版社、

 〒103-0023 東京都中央区日本橋本町4-2-11 エビスビル4F

 電話 03-3241-0049, ファックス 03-3241-2269 

 振替:東京00120-0ー19595

 ISBN 4-87925-055-4(Amazon | honto),C0022 \1300E(日キ販),1300円+税


 「とかく、アメリカ植民地の冒頭部は、アメリカ史でも、アメリカ文学史でも、簡略に取り扱われている。期せずしてそれに『待った!』の歯止めをかける実に楽しい、立体的に400年近く前のプリマス植民地の純朴な状景が実物さながらカラーフルに揚げられている。アメリカ合衆国建国のルーツがかくも心暖かく魂に食い込むようにイメージ化され、こんなに理解しやすい資料は容易に見出せないのではあるまいか。」(堀江義隆, 近畿大学教授)



Jun 02 (sat), 2001, 12:47

延原時行 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

美しいプリマスの写真に、ピューリタンの開拓精神による米国史の初心への彼独特の解釈のことば、ああ,アメリカ合衆国って、そんな初々(ういうい)しくも豪胆かつ敬虔な国であったのか!これを読み、不思議に私は、越後へ托鉢僧として帰る大愚(たいぐ)良寛を想っていた。新文明のはじめは、東西とも貧しく謙虚、だが、不退転の冒険であた。日本再建のため、心ある全日本人に、ご一読をおすすめしたい。(延原信行, 敬和学園大学教授)



Jun 02 (sat), 2001, 12:49

橋爪忠夫 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「スピリット・オブ・アメリカとは何であろうか。このマサチューセッツ州がいかにして、アメリカの精神なのか。それに答えるのが美しい写真入りの歴史物語、『メイフラワー号・プリマス開拓村』である。これによりアメリカの精神的ふるさとへと足を踏み入れることができる。・・・・・

この文はアメリカの古典の一つ、プリマス開拓村村長ウイリアム・ブラドフォードが著した日記、『プリマス開拓記』(William Bradford, Of Plimoth Plantation)を主要参考文献としている。」(橋爪忠夫, 日本基督教団洗足教会牧師)


Jun 02 (sat), 2001, 12:51

William Taylor <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「プリマス湾で獲れるロブスターと伊勢海老は似ていますね。ケープ・コドの沖にはタラが多いです。ここには鯨もいます。175年前に、ここの鯨獲りの漁師が日本の近くにまで行って、食料補給と海事避難のために開港を求めました。ここの海で、夏にはマグロもとれます。ここは自然環境に恵まれて、気持ちがよく、夏には避暑地となっています。伊勢志摩も自然環境に恵まれて、魚のよく獲れる所でしょう。

プリマス湾の日の出も伊勢湾の日の出も美しいですね。12月22日、早朝、私たち、プリマス開拓者子孫の会、the Old Colony Clubは、冬至初日の出を見て、先祖のプリマス上陸を祝っています。日本では昔、昔、大昔、この夜の真っ暗な中で神々と衆がドンジャン騒ぎをしていると天の岩戸が開いて太陽の女神様が顕われたのですね。冬至大晦日パーティに驚いたのでしょう。日本は「日の出の国」ですね。私たちの先祖のプリマス開拓者たちがメイフラワー号で着いた時に迎えたここの原住民は「夜明けの民」、「東の民」ワンパノアグ族でした。

プリマス湾のクラーク島にはイギリスから私たちの先祖、ピルグリム・ファーザースが初めて着いた時に感謝の祈りを捧げた聖なる岩があります。二見ガ浦の夫婦岩も縁結びの聖なる岩ですね。

アメリカの国民祝日、Thanksgiving Dayはプリマスから始まりました。11月の丁度同じ頃に伊勢神宮でも神嘗祭が祝われるのですね。両方とも秋の収穫感謝の祭りです。日本では、今、勤労感謝の日として、国民祝日ですね。

クリスマス・ツリーとお正月の門松は白雪の中に緑の生命力の恵みの祝いでしょう。」(William Watson Taylor,プリマス湾クラーク島主)


Jun 02 (sat), 2001, 12:53

Peter Gomes <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「私の生まれたプリマスはイギリスの自由と平等を求めたピューリタンによって開かれました。1620年にメイフラワー号が着いてから16年後にハーバード大学が創立されました。」(Peter J. Gomes, ハーバード大学教授、牧師)



Jun 02 (sat), 2001, 12:55

Robert Williams <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「1600年、関が原の戦いの年、私たちの先祖が知っていた航海士、ウイリアム・アダムスが、イギリス人として初めて日本に着きました。彼は徳川家康の外交顧問となって、三浦安針と名乗ったのでしょう。彼はきっと西洋との外交の安全な舵取り方針も教えたのでしょうね。」(Robert Williams, プリマス開拓者子孫)



Jun 02 (sat), 2001, 12:56

James W. Baker <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「日本の現天皇、美智子皇后は皇太子ご夫妻の時、メイフラワー号に来られました。現皇太子も来られました。雅子さんはここが大好きだったですよ。ジョン・万次郎はこの近くの町でホームステイして勉強しました。ペリー提督の生まれたニューポートはここから近いです。」(James W. Baker, Plimoth Plantation,Inc. 歴史主幹)


Jun 02 (sat), 2001, 12:58

安部隆子 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「ニューイングランドの人たちと北海道の人たちは開拓精神で氣が合います。プリマスのあるマサチューセッツ州と北海道は姉妹です。

プリマスにメイフラワー号が着いてから十年後に、ボストンを開いたピューリタン指導者、ガバナー・ウイスロップはマサチューセッツ共同体建設の青写真として、『キリストの慈愛のモデル』The Model of Chriatian Charityを書きました。かれは、天命を果たすために、キリストの慈愛をもって、死よりも生きることを選び、市民が夫々の天分を分担して、助け合い、統一のとれた和のある聖マサチューセッツ共同体を建設し、人類世界に安全な指針を与える灯台としようとました。聖マサチューセッツ共同体の役所の置かれたボストンの丘は灯の丘、ビーコン・ヒルと呼ばれるようになりました。日の出の国を誇った聖徳太子は、仏の慈愛をもって、夫々が天分を分担し、協力して、統一のとれた大和を建て、生を建てようと、十七条憲法を作りましたね。」(安部隆子、帯広生まれ、ボストン在住)



Jun 02 (sat), 2001, 13:03

William Cockrane <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「ボストン郊外の町、ウインスロップにホーム・ステイして、勉強している日本人学生たちが、この町のライブラリーで、『メイフラワー号・プリマス開拓村』の本を見つけて、引っ張りだこで読んでいましたよ。」(Bill Cockrane, 日本航空ボストン支店 Manager)


Jun 02 (sat), 2001, 13:05

神山高行 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「内村鑑三博士は本学、東海大学の創立者松前重義先生に多大な影響を与えた方ですので、興味深く内容を拝見させていただきました。」(神山高行、東海大学福岡短期大学観光文化研究所所付) 



Jun 02 (sat), 2001, 13:07

松山義則 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「美しい写真とともにアメリカの古い時代の歴史を学んでいます。かってプリマスに出かけたことを懐かしく想起しています。」(松山義則,同志社前総長)



Jun 02 (sat), 2001, 13:08

長島俊司 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net>

「清楚なアメリカを代表するニューイングランドを歴訪し、更にプリマスで不思議な体験、400年昔にタイムスリップするこんな真面目な企画がもっとあってもよいと思います。」(長島俊司, 同志社グリー クラブ O.B. )



Jun 02 (sat), 2001, 13:10

徳久俊彦 <cache-2.sbo.ma.webcache.rcn.net> website

「本当に美しい写真に溢れた本で、思わず読んでみたくなる程でした。私共は学校で殆ど名前だけしか教わっていない『ピルグリム』による開拓の苦難の歴史を分かりやすく記された文にひかれて、一気に読みました。」(徳久俊彦,(財)東大基督教青年会常務理事)


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