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書評

最終更新:2019年2月13日(水)


旧書評掲示板保存ファイル/書評:『グリム童話と魔女』

書名出版社
グリム童話と魔女勁草書房
著者出版年
野口芳子2002年2月



Apr 09 (tue), 2002, 02:51

リサ <dialup-64.154.78.141.dial1.newyork1.level3.net> website

このごろ、インターネット上でも現実とフィクションの混同がどんどん進んでて、何が現実でどこまでがフィクションなのかわからなくなってきている。

インターネットは情報網が広いだけに、ウソの情報や偽の現実(フィクション)が、かなり幅をきかせてるので、注意が必要。一体、どこまで本当なの?と疑い深くなっている自分に一筋の光を照らしてくれた本がある。野口芳子著・『グリム童話と魔女』だ。


この本は、口承文学『グリム童話』の登場キャラクターの魔女と、現実にあった魔女裁判の比較と吟味に一貫する。魔女の現実の姿とは?魔女狩りの裏にあった政治的・宗教的意味とは? ーこれらの疑問に本書はしごく明解に応えてくれる。

著者の緻密な研究とその成果は、今の時代に損なわれううある『事実に基づき、時代の真実に迫る検証』と呼ばれる価値がある。

本当に起こったこと、その時代の事実、そして、なぜ魔女が恐れられ、あがめられていたのか。。。ただ単に異教徒を弾圧するための政治的手段の為に魔女狩りは行われていたのかー否、西洋の歴史、キリスト教の性格、当時の風習を細かく見ていけば、魔女狩りは単なる政治的、宗教的弾圧の為だけに用いられたわけではなかった。

火あぶりという、派手なパフォーマンスで市民の注意を集め、『神の名のもとに』正統性をかざして行われた魔女狩りは、どれだけ力強く当時の人々の心に響いただろうか? 娯楽もなく、毎日の生活苦を一瞬でも忘れさせてくれる『魔女の火あぶり』は、市民にとっては一種お祭りであり、日常を忘れさせてくれる非現実的な体験であったことは容易に想像できる。

一方で、現代にまで語り継がれている『グリム童話』の中の魔女・継母・謙女などは、明らかに当時の風習を映し出している反面、その姿には矛盾も見られる。

魔女とは、悪いだけの存在ではなかったはずだ。 グリム童話の中の魔女は、人を助け、宝物を授け、おいしい食物を人に与えることもする。

彼女達の姿は、グリム兄弟によって、また翻訳家達の手によって書き換えられていたのだ。そういう事実を指摘する研究、また、『正当性』を追い求めるだけの作業にとどまらず、『なぜ魔女狩りが西洋であんなに盛んにおこなわれたのか?』という問いを投げかけつつ、研究者として『紛れもない事実』に迫ろうと努力する姿勢には、娘としてだけでなく、一読者として拍手を送りたい気分になります。

宗教の持つ魅力と政治的にそれを利用する恐ろしさは、現代のイスラム教とキリスト教、そしてユダヤ教の聖地を巡る争いにも置き換えられます。

歴史を振り返ることは、そこから何かを学び取ろうとする姿勢を失わない限り、決して無駄なことではありません。今、パレスチナでおこっている戦争を深く知ろうとするならば、魔女狩りの起こった歴史をつぶさに見ることは、宗教論を勉強するよりも明らかに効果的であると思われます。 現代に、魔女狩りがおこったような状況がまた繰り返されるのか?人間の叡智に進化はないのか? 人間は、本来、戦闘的な動物なのか? 宗教的争いに出口はないのか?

そういった疑問が、この本『グリム童話と魔女』を読んだ後に沸き上がってきます。


李沙


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